喫茶室でコーヒーを飲んだあと、大広間に戻ったふたりは、履物を脱いで畳のうえにあがった。
「僕、ここが取材先に入ってたんで、今回の仕事、引き受けたんです。その、座敷わらしのことだけじゃなくて、修学旅行のときには洋館のほうも見学して、宴会場で昼食もとったんです。そのときに、またいつか来るんだろうなって感じて。取材でいろんなところに行くんですけど、そういう場所って、たまにあるんです。思い出が待っててくれるっていうか……。うまく、表現できないんですけど。あの、宗高さんにとって、ここはどういう場所ですか?」
「私にとって、ですか?」
 千鶴は、問われてはじめて自分の立っている場所を思い出したふうに、足袋の指先を見た。それから、大広間を隅から隅へと見渡していった。難しい質問だったろうかと、田尻は反省した。
「あの、すみません、変な質問でしたね」
 言い繕って田尻は大広間の中ほどまで足をすすめた。ぎし、ぎし、と、ところどころで床が軋んだ。二の間と三の間の畳をはずせば能舞台が現れ、御前能が披露されたという。三百年という時を思うと、ぎし、という軋みひとつにも、歴史と響きあうような重みを田尻は聞き取った。ああ、でも、と田尻は気づく。
 あの子は、足音ひとつたてていなかった。
 十数年を経て気づいた、ささやかな発見に、田尻は新しい思い出を得た気がした。
「私にとっては」と千鶴が声をやや低くして言った。「ずっとここにあるところ、だと思います」
 ずっとここにあるところ。
 声に出さず、この家の血を引く少女の見方を、田尻は繰り返してみた。
「普通の答えですみません」
 ついさっきの自信がもう消えかかっているかのような声で千鶴は言い足した。
「でも、たぶん、それが素直な感想なんです。三百年、ずっとここにあるんですけど、でも、ただ黙ってあるだけじゃないんです。大事に保存されてるだけじゃなくて、ここで寝泊まりしたり、食事したり、庭でお祭りをしたり、そうやって、いまの人たちとも一緒に生きて、思い出とか歴史とか、止まってない気がして、この先も、そうだと思うんです。そうであるべきだって、思うんです。だから、なんだろうな。私が思うのは、これまでの話っていうより、この先の、一〇〇年先もここにあるよ、ってことなのかもしれないです」
 千鶴の言葉を聞きながら、田尻は考えた。自分が見たのは、一〇〇年前にここにいた子なのかもしれない、と。
「ここに出てきたんです」
 田尻は自分が見た子供の動きを、思い出せる限り鮮明に再現してみせた。廊下側に立つ千鶴を高校生だった自分に見立て、絣を着た子の跡を辿った。あたかもそれが座敷わらしを呼び出す呪術であるかのように。
「そうして一気に走っていって」
 田尻が再現していると、千鶴の隣にセーラー服姿の少女が現れた。
「なにしてんの」
「あ、おかえり」
「だれ」とセーラー服の少女は無愛想に言った。
「取材の方。前にね、ここで座敷わらし見たんですって」
 思いがけず増えた観客を前に、田尻は気恥ずかしくなって再現をやめ、挨拶のため千鶴たちのほうへと歩み寄った。
「妹です」と千鶴が紹介した。
「ああ、それ、たぶんわたし」と妹はこともなげに言った。「ほら、おばあちゃんに話を聞いたあとにさ、座敷わらしの真似してたら、友達だと思って出てきてくれるんじゃないかって、しばらくわたし、やってたでしょ」
 あ、と千鶴が口を丸くひらいた。
「七五三の着物、勝手に引っ張りだしてやってたから、お母さんにこっぴどく叱られたの、忘れたの?」
「ああ、やってたねえ」千鶴は呑気に応じた。
「じゃあ、あの、妹さんは、座敷わらしと会ったことは?」
 田尻の質問に、妹は「ないない」とあっさり答えて姿を消した。そのすっぱりとした消え方は、かつて自分の見た子供に通じるところがあると田尻は認めた。
「ごめんなさい、あんな、身も蓋もないこと」
「ああ、いえ」
 七五三の着物なら、絣じゃないだろう。そう考えて田尻はなにか、腑に落ちた気がした。
「あの、もう少しここにいてもいいですか」
「ええ、もちろんです」

 喫茶室でコーヒーを飲んだあと、大広間に戻ったふたりは、履物を脱いで畳のうえにあがった。
「僕、ここが取材先に入ってたんで、今回の仕事、引き受けたんです。その、座敷わらしのことだけじゃなくて、修学旅行のときには洋館のほうも見学して、宴会場で昼食もとったんです。そのときに、またいつか来るんだろうなって感じて。取材でいろんなところに行くんですけど、そういう場所って、たまにあるんです。思い出が待っててくれるっていうか……。うまく、表現できないんですけど。あの、宗高さんにとって、ここはどういう場所ですか?」
「私にとって、ですか?」
 千鶴は、問われてはじめて自分の立っている場所を思い出したふうに、足袋の指先を見た。それから、大広間を隅から隅へと見渡していった。難しい質問だったろうかと、田尻は反省した。
「あの、すみません、変な質問でしたね」
 言い繕って田尻は大広間の中ほどまで足をすすめた。ぎし、ぎし、と、ところどころで床が軋んだ。二の間と三の間の畳をはずせば能舞台が現れ、御前能が披露されたという。三百年という時を思うと、ぎし、という軋みひとつにも、歴史と響きあうような重みを田尻は聞き取った。ああ、でも、と田尻は気づく。
 あの子は、足音ひとつたてていなかった。
 十数年を経て気づいた、ささやかな発見に、田尻は新しい思い出を得た気がした。
「私にとっては」と千鶴が声をやや低くして言った。「ずっとここにあるところ、だと思います」
 ずっとここにあるところ。
 声に出さず、この家の血を引く少女の見方を、田尻は繰り返してみた。
「普通の答えですみません」
 ついさっきの自信がもう消えかかっているかのような声で千鶴は言い足した。
「でも、たぶん、それが素直な感想なんです。三百年、ずっとここにあるんですけど、でも、ただ黙ってあるだけじゃないんです。大事に保存されてるだけじゃなくて、ここで寝泊まりしたり、食事したり、庭でお祭りをしたり、そうやって、いまの人たちとも一緒に生きて、思い出とか歴史とか、止まってない気がして、この先も、そうだと思うんです。そうであるべきだって、思うんです。だから、なんだろうな。私が思うのは、これまでの話っていうより、この先の、一〇〇年先もここにあるよ、ってことなのかもしれないです」
 千鶴の言葉を聞きながら、田尻は考えた。自分が見たのは、一〇〇年前にここにいた子なのかもしれない、と。
「ここに出てきたんです」
 田尻は自分が見た子供の動きを、思い出せる限り鮮明に再現してみせた。廊下側に立つ千鶴を高校生だった自分に見立て、絣を着た子の跡を辿った。あたかもそれが座敷わらしを呼び出す呪術であるかのように。
「そうして一気に走っていって」
 田尻が再現していると、千鶴の隣にセーラー服姿の少女が現れた。
「なにしてんの」
「あ、おかえり」
「だれ」とセーラー服の少女は無愛想に言った。
「取材の方。前にね、ここで座敷わらし見たんですって」
 思いがけず増えた観客を前に、田尻は気恥ずかしくなって再現をやめ、挨拶のため千鶴たちのほうへと歩み寄った。
「妹です」と千鶴が紹介した。
「ああ、それ、たぶんわたし」と妹はこともなげに言った。「ほら、おばあちゃんに話を聞いたあとにさ、座敷わらしの真似してたら、友達だと思って出てきてくれるんじゃないかって、しばらくわたし、やってたでしょ」
 あ、と千鶴が口を丸くひらいた。
「七五三の着物、勝手に引っ張りだしてやってたから、お母さんにこっぴどく叱られたの、忘れたの?」
「ああ、やってたねえ」千鶴は呑気に応じた。
「じゃあ、あの、妹さんは、座敷わらしと会ったことは?」
 田尻の質問に、妹は「ないない」とあっさり答えて姿を消した。そのすっぱりとした消え方は、かつて自分の見た子供に通じるところがあると田尻は認めた。
「ごめんなさい、あんな、身も蓋もないこと」
「ああ、いえ」
 七五三の着物なら、絣じゃないだろう。そう考えて田尻はなにか、腑に落ちた気がした。
「あの、もう少しここにいてもいいですか」
「ええ、もちろんです」