「どこへ行っても、ちゃんと、御花の宣伝してきますよ」
 田尻はファインダーを覗きながら確約した。
「座敷わらしのことも話すんですか?」
 結月のリラックスした質問にも彼は、カメラから目を離さず「そうですよ」と返した。
「でもね」
 結月からすこし離れて、橋の上に佇む彼女を写真に収めてから、田尻は言った。
「あると思うんですよ、人を幸せにしてくれる存在って」

 なつかしい台詞を思い返しながら、それでさみしいのだろうかと、結月は考えてみた。
 葵は、背が低く、華奢だ。高校卒業時から御花に勤務していたが、いつまで経っても未成年に見られるとぼやいたりする。座敷わらしがいるとすれば、葵がそれなのかもしれない。それで、こんなにさみしいのかもしれない。
 他愛もない空想をもてあそびつつ、一階におりてきた結月は、まだ照明もつけられていないダイニング「集景亭」に向かった。ふと見ると、右手奥の席に、自分と同じ和服を着た葵が立っている。いきなりふたりきりになるのは気まずくなりそうで、足音をたてずに引き返そうかと思ったが、それより先に葵の声が聞こえてきた。
「でも、心配してると思うよ」と。
 だれか、いるのだろうか。
「ね、連絡、しようよ」
 友達に語りかけるような言葉とともに、葵は椅子に腰をおろした。彼女の向こうには窓があり、外には冬の陽射しに薄く色づけられた庭の緑が見えていた。あかりもつけずに、なにをしているのか、気になった結月は覚悟を決めて、足を踏み出した。
 葵の向かいには、ついさっき四階で会った少女が座っていた。テーブルに視線を落として、説教される生徒といった雰囲気だ。
「葵ちゃん、どうかしたの?」
「結月さん、おはようございます。もういらっしゃってたんですね」
 席から立ち上がる葵に、結月は「あかり、つける?」と聞いた。
「それは、もうすこし話してから。ね、一花いちかちゃんも、それでいいよね?」
 一花と呼ばれた少女は、つっけんどんな口調で「うん」と答えた。
「どなた?」
 結月の質問に葵は「えっと、観光でいらしたそうなんですけど、妹さんと喧嘩して逃げてきたそうです」と答えた。
 年末年始も仕事詰めだった父親が遅めの冬休みを取ることができてて、家族で柳川に来たのだが、駅からバスで移動する途中、三つ下の妹と喧嘩になった。妹が悪いのに、両親は、せっかくの旅行を喧嘩で台無しにするつもりかと、一花ばかりを叱ったという。
「いっつもそう。おねえちゃんなんだからあんたが悪いって叱られて、どんだけ我慢してても、ちっとも認めてくれないし、なんかもう、先に生まれたのが悪いって言われてるみたいで、頭来て」
 バスを降りるなり家族から逃げ出して、あてもなく走ったあとで松濤館に飛び込んだ。
「だから隠れる場所を探してたのね」
 葵の隣の椅子に腰をおろした結月は、理解を示すふうに言った。一花は「そう」と、挑発気味に答えた。
「だいたいさ、今日だって、せっかくの旅行とか言うけど、それ以前にわたしの誕生日なんだから、今日くらい妹のせいにしてくれてもいいじゃん。こんなところまで連れてきて、挙句にわたしが叱られるとか、おかしくない?」
 こんなところ、という一言に反応したのか、葵がやや言葉をとがらせて聞いた。
「どこから来たの?」
「東京」
 その返事に、あ、と短く声をもらしたあとで、結月は表情をやわらかくした。
「一花ちゃん、ようこそいらっしゃいました。いくつになったの?」
 とつぜんの歓迎に戸惑ったのか、一花はまごつきながら返事をした。
「十三」
 四階の廊下で十五、六歳と思った自分の読みの甘さを知ると同時に、結月はつい、葵の顔を見た。おなじことを葵も感じたのか、「わたしより大人っぽい」とおどろいたあとで質問した。
「わたし一人っ子だから、そういう感覚ってわかってあげられないかもしれないんだけど、やっぱり、おねえちゃんって大変なの?」
 葵の質問に、一花は憤慨をまじえて力説した。大変なんて言葉じゃ追いつかない。妹の手本になれ、年上なんだから、おまえがちゃんとできてないとパパとママが恥ずかしい。なにをするにも一ミリだってはみだしてはいけないと命じられてばかりの人生だ、と。
「なんか、耳、痛いな」
 ふたりのやりとりを聞いていた結月は、そう言ってうなだれた。
「私にも姉がいてね、私、末っ子だから」
「敵だ」
 一花は結月をにらんだ。
「敵って」と、葵は目をまるくした。
「敵だよ。あいつ、わたしの失敗とかしっかり観察しててさ、自分は器用に生きてるって、ぜったいどこかで勝ち誇ってるんだから。いまに足もとすくわれて転ぶし、それだってわたしの責任とか言われかねないし」
「そうなんですか?」
 それが姉妹における普遍的な関係なのかどうかを知りたいとでもいうように、葵は結月に確かめた。
「そんなつもりない、って言いたいけど」勇気を呼び込むように深く息を吸ってから、結月は続けた。「実際、そういうところはあると思う。でも、逆にね、ぜったい追いつけないし、追い越せない、姉の背中を見てると、自分は永遠の後続ランナーじゃないかなって不安になることも、あるんだよ」
 言ったあとで、姉の思い出が頭をよぎり、結月は頬をほころばせた。
「あのね、一花ちゃん、私ね、ここの娘で」
「え?」
「うん、ここの娘なの。それでね、うちの姉が、いまの社長。だから、ここは自宅みたいなもので、子どものころは姉といっしょに遊びまわってて、ひどかったよ、文化財みたいな品をおもちゃがわりに投げたりとか、西洋館の階段の手すりをすべり台にしたりとかね」
「そんなことしてたんですか?」
 いきおいよく食いついてきたのは、葵のほうだった。
「うん。もうね、常軌を逸してた」
「怒られなかったんですか?」
「そうそう、それ。あのね、ここ、この建物ができる前はここにお蔵があって、悪いことするとそこに閉じ込められてたの。すごい暗くて、怖くて、私すぐに泣いてたんだけど。あるとき、姉がね、おもちゃを先に、お蔵に隠しておいたの。どうせしばらく出られないんだから、自分たちで楽しくしようって。それで、私、かなわないって思った。すごいなあって。
そんなふうにして、自分のいる場所を、自分のいたい場所にしていく姿勢って」
 だからきっと、一花ちゃんの妹さんも、おねえちゃんにかなわないって思ってる部分、あると思うよ。
 結月はそんなふうに話を結んだが、一花は余計にふてくされた。

「どこへ行っても、ちゃんと、御花の宣伝してきますよ」
 田尻はファインダーを覗きながら確約した。
「座敷わらしのことも話すんですか?」
 結月のリラックスした質問にも彼は、カメラから目を離さず「そうですよ」と返した。
「でもね」
 結月からすこし離れて、橋の上に佇む彼女を写真に収めてから、田尻は言った。
「あると思うんですよ、人を幸せにしてくれる存在って」

 なつかしい台詞を思い返しながら、それでさみしいのだろうかと、結月は考えてみた。
 葵は、背が低く、華奢だ。高校卒業時から御花に勤務していたが、いつまで経っても未成年に見られるとぼやいたりする。座敷わらしがいるとすれば、葵がそれなのかもしれない。それで、こんなにさみしいのかもしれない。
 他愛もない空想をもてあそびつつ、一階におりてきた結月は、まだ照明もつけられていないダイニング「集景亭」に向かった。ふと見ると、右手奥の席に、自分と同じ和服を着た葵が立っている。いきなりふたりきりになるのは気まずくなりそうで、足音をたてずに引き返そうかと思ったが、それより先に葵の声が聞こえてきた。
「でも、心配してると思うよ」と。
 だれか、いるのだろうか。
「ね、連絡、しようよ」
 友達に語りかけるような言葉とともに、葵は椅子に腰をおろした。彼女の向こうには窓があり、外には冬の陽射しに薄く色づけられた庭の緑が見えていた。あかりもつけずに、なにをしているのか、気になった結月は覚悟を決めて、足を踏み出した。
 葵の向かいには、ついさっき四階で会った少女が座っていた。テーブルに視線を落として、説教される生徒といった雰囲気だ。
「葵ちゃん、どうかしたの?」
「結月さん、おはようございます。もういらっしゃってたんですね」
 席から立ち上がる葵に、結月は「あかり、つける?」と聞いた。
「それは、もうすこし話してから。ね、一花いちかちゃんも、それでいいよね?」
 一花と呼ばれた少女は、つっけんどんな口調で「うん」と答えた。
「どなた?」
 結月の質問に葵は「えっと、観光でいらしたそうなんですけど、妹さんと喧嘩して逃げてきたそうです」と答えた。
 年末年始も仕事詰めだった父親が遅めの冬休みを取ることができてて、家族で柳川に来たのだが、駅からバスで移動する途中、三つ下の妹と喧嘩になった。妹が悪いのに、両親は、せっかくの旅行を喧嘩で台無しにするつもりかと、一花ばかりを叱ったという。
「いっつもそう。おねえちゃんなんだからあんたが悪いって叱られて、どんだけ我慢してても、ちっとも認めてくれないし、なんかもう、先に生まれたのが悪いって言われてるみたいで、頭来て」
 バスを降りるなり家族から逃げ出して、あてもなく走ったあとで松濤館に飛び込んだ。
「だから隠れる場所を探してたのね」
 葵の隣の椅子に腰をおろした結月は、理解を示すふうに言った。一花は「そう」と、挑発気味に答えた。
「だいたいさ、今日だって、せっかくの旅行とか言うけど、それ以前にわたしの誕生日なんだから、今日くらい妹のせいにしてくれてもいいじゃん。こんなところまで連れてきて、挙句にわたしが叱られるとか、おかしくない?」
 こんなところ、という一言に反応したのか、葵がやや言葉をとがらせて聞いた。
「どこから来たの?」
「東京」
 その返事に、あ、と短く声をもらしたあとで、結月は表情をやわらかくした。
「一花ちゃん、ようこそいらっしゃいました。いくつになったの?」
 とつぜんの歓迎に戸惑ったのか、一花はまごつきながら返事をした。
「十三」
 四階の廊下で十五、六歳と思った自分の読みの甘さを知ると同時に、結月はつい、葵の顔を見た。おなじことを葵も感じたのか、「わたしより大人っぽい」とおどろいたあとで質問した。
「わたし一人っ子だから、そういう感覚ってわかってあげられないかもしれないんだけど、やっぱり、おねえちゃんって大変なの?」
 葵の質問に、一花は憤慨をまじえて力説した。大変なんて言葉じゃ追いつかない。妹の手本になれ、年上なんだから、おまえがちゃんとできてないとパパとママが恥ずかしい。なにをするにも一ミリだってはみだしてはいけないと命じられてばかりの人生だ、と。
「なんか、耳、痛いな」
 ふたりのやりとりを聞いていた結月は、そう言ってうなだれた。
「私にも姉がいてね、私、末っ子だから」
「敵だ」
 一花は結月をにらんだ。
「敵って」と、葵は目をまるくした。
「敵だよ。あいつ、わたしの失敗とかしっかり観察しててさ、自分は器用に生きてるって、ぜったいどこかで勝ち誇ってるんだから。いまに足もとすくわれて転ぶし、それだってわたしの責任とか言われかねないし」
「そうなんですか?」
 それが姉妹における普遍的な関係なのかどうかを知りたいとでもいうように、葵は結月に確かめた。
「そんなつもりない、って言いたいけど」勇気を呼び込むように深く息を吸ってから、結月は続けた。「実際、そういうところはあると思う。でも、逆にね、ぜったい追いつけないし、追い越せない、姉の背中を見てると、自分は永遠の後続ランナーじゃないかなって不安になることも、あるんだよ」
 言ったあとで、姉の思い出が頭をよぎり、結月は頬をほころばせた。
「あのね、一花ちゃん、私ね、ここの娘で」
「え?」
「うん、ここの娘なの。それでね、うちの姉が、いまの社長。だから、ここは自宅みたいなもので、子どものころは姉といっしょに遊びまわってて、ひどかったよ、文化財みたいな品をおもちゃがわりに投げたりとか、西洋館の階段の手すりをすべり台にしたりとかね」
「そんなことしてたんですか?」
 いきおいよく食いついてきたのは、葵のほうだった。
「うん。もうね、常軌を逸してた」
「怒られなかったんですか?」
「そうそう、それ。あのね、ここ、この建物ができる前はここにお蔵があって、悪いことするとそこに閉じ込められてたの。すごい暗くて、怖くて、私すぐに泣いてたんだけど。あるとき、姉がね、おもちゃを先に、お蔵に隠しておいたの。どうせしばらく出られないんだから、自分たちで楽しくしようって。それで、私、かなわないって思った。すごいなあって。
そんなふうにして、自分のいる場所を、自分のいたい場所にしていく姿勢って」
 だからきっと、一花ちゃんの妹さんも、おねえちゃんにかなわないって思ってる部分、あると思うよ。
 結月はそんなふうに話を結んだが、一花は余計にふてくされた。