ランチが落ち着いたころ、御花の売店である「お花小路」に河村はまわった。料亭やレストランで出している品のいくつかは土産物としても販売しており、その売れ行きを確かめるのも日課のひとつだった。平日の売店もなかなかの賑わいで、ふと見ると、岡部が箱を抱えてバックヤードから出てくるところだった。
「手伝いかい」
 声をかけると、岡部は狼狽したふうに「あ、河村さん」と言った。彼の抱えたプラスチックの箱には「おはなのうむすび」が三十個ほど詰められている。名物である「うなぎのせいろ蒸し」を持ち帰れるよう、試行錯誤を重ねて開発した人気商品だった。
「大量注文でも入ったか」
 河村が問うと、岡部は「そうです、そうです」と明るく返した。
 こいつも大変だな、と河村は我が子を見るように思った。嘘がへた、というのは、人として美徳ではあるものの、生きていくには長所とも言いきれない。大量注文が嘘ならば、なにをするつもりだ。まさか「うむすび」をひとりで隠れて二十も三十も食べる、というわけではあるまいが。
 自社商品を頬張る若者を想像して苦笑した河村は、余計な詮索はよしておこうと決めた。
 午後四時から、新メニューの試食会を兼ねた会議が行われた。
 メインの議題は年始からの会席プランについてだったが、話題は次の春のメニューにまで及んだ。河村も積極的に意見を述べ、試作品のすべてを食べてはコメントを添えた。厳しい意見も述べたが、褒めるところは褒めたし、全員が笑う場面もあった。
 俺個人の取材なんかより、この場に立ち会ってもらったほうがよほど、いろんな話を拾えただろうに。
 朝の取材を思い出し、つい、そんなことを考えてしまう。
 あるいは、取材の席に料理をひとつ持参すればよかっただろうか。あの、面接のように。

 厨房を借りる前に、挨拶に出向いた。畳敷きの古い部屋だったが、椅子とテーブルが置かれていて、高齢者への気配りであることが河村にもわかった。そこに、着物姿の女性がひとり、腰掛けていた。
 女将は八十近い女性で、食が細ったという情報から弱々しい人物を思い描いていたが、対面した相手は顔立ちもふくよかで、眼差しには、ひとつのことに打ち込んできた人に特有の鋭さがうかがえた。
「はじめまして、河村です」と挨拶をすると、女将は「本日はお越しいただきまして」と言いかけて、言葉をとめた。途端に、奥へ引っ込むような表情になり、戸惑いの色が差した。
「すみませんね、河村さん、本来であればあなたがお客様、こちらがもてなす側、なんでしょうけど、お客様に料理を作っていただくなんて、これまでにないことで、まあ、どうお迎えすればいいのか。自分からお願いしておいて、いま、ようやく、気がつきました。こちらから、うかがったほうがよろしかったですかね」
 相手の戸惑いにあてられたように、河村も言葉に迷った。しどろもどろになりながら、すっぽん鍋をつくるつもりだと伝えた。
「楽しみ」と女将は、はにかんだ。むしろ、河村の緊張は増した。
 料亭のラストオーダーが午後八時半だったので、九時に厨房に入った。最初にすっぽんの下処理を行い、持参した小ぶりの土鍋をコンロに置いて、長ネギと椎茸と白菜を包丁で切った。椎茸は花の飾り切りを施した。厨房では他の料理人たちが後片付けと翌日の仕込みを行っていたが、河村のためのスペースはしっかりと確保されており、女将はさきほどの個室で待っていた。料理に集中すべく、河村はすっぽん鍋についての口上を頭の中で繰り返した。
 京都では、すっぽん鍋のことを「まる鍋」といいます。甲羅の形から来ているとする説、あるいは底の浅い丸型の土鍋を使うことから、とする説もあるそうです。昔は夏に食べたそうですが、冬は冬眠するので捕まえることができず、仕方なしに夏に食べていた、とも言えます。最近では養殖のおかげで年中食すことができるようになり、冬のほうが、鍋ということもあって、おいしいというふうに言われています。
 そんな御託は、釈迦に説法というやつだ。そもそも質問だってされないだろう。なぜ、すっぽん鍋なのですか、と問われることはあるかもしれない。その質問への答えを幾通りも考えながらここまでやってきたが、つまるところ、それが得意だから、としか答えようがなかった。自分が好きで、自分のために作りつづけている品であり、土鍋さえ愛用の物だった。伝統とか基本とか、そんな概念よりも、自分という料理人を差し出すつもりで決めた品だった。
 一人分のすっぽん鍋ができあがり、借り物のトレイに載せて運んだ。
「お待たせしました」
 河村の声に、女将は椅子に腰をおろしたまま、ちいさく頭をさげた。
 土鍋をテーブルに置いた。
 相手の表情は鋭く、真剣なものになっている。挨拶に訪れた先ほどと違い、自分の所作のひとつ、ひとつにまで、厳しい視線が向けられているのを、感じる。
 鍋のふたをはずすと、湯気が盛大にあがった。
 女将は目を細め、湯気の向こうにあるものを、しばし、見た。盛り付けを審判すると同時に、香りを見られている。女将の表情は、まだ、硬い。しずかに持ち上げられた右手でレンゲを取ると、鍋の中からスープをすこし、すくった。レンゲの先にも湯気がのぼる。
 河村は、それが礼を失することと知りながら、女将が食べすすめる様子から目を離すことができなかった。
 スープを啜り、表情はそのままに、こくり、とうなずくと、女将はレンゲを箸に持ち替えた。
 試験に合格したのだと確信できたのは、食事も終盤にさしかかったころだった。口元のかすかなほころびが、料理をたのしんでいることを教えてくれた。
「河村さん」と、女将が告げた。「あなた、いいものを、持ってきてくださいましたね。安心しました」
 おいしい、ではなく、安心した、という評価をもらうのは、それが初めてだった。
 ごちそうさまでした、という言葉に続けて、彼女は語った。
「想像したとおりの、味でした。このお鍋が、というのではなく、なんでしょう、あなたのような方が作る料理は、きっとこういう味だろう、という、お人柄からの想像が、的中した、といいますか」
 褒められているのが、料理なのか、自分という人間なのか、判別できずに河村は目を泳がせた。
「ご存知でしょうが、作り手と料理とのあいだに、へだたりがあるものは、これはもうどうしたってうまくいきません。ですから、どんな料理を作るにも、こういうものだと決めてかかったりしないよう、私もずいぶん口をすっぱくして伝えています。なんでも器用に作る人もいますが、舌を喜ばせることはできても、上手なだけの料理は、胸までは、保たないんですね。だから、まずは自分の軸となる味を持つことだと、私は、そんなふうに思います。河村さん」
「はい」
「あなたの味を、ここへお迎えできることを、嘘のない味を、持ってきていただけること、ありがとうございます」
「いえ、そんな」 「ごめんなさいね、こんな、まわりくどいことを言って。どうも、口が下手なもので」
「私もです。料理だって、馬鹿正直なものばかりで」
 ふたりは、秘密をわかちあうように、笑いあった。

 ランチが落ち着いたころ、御花の売店である「お花小路」に河村はまわった。料亭やレストランで出している品のいくつかは土産物としても販売しており、その売れ行きを確かめるのも日課のひとつだった。平日の売店もなかなかの賑わいで、ふと見ると、岡部が箱を抱えてバックヤードから出てくるところだった。
「手伝いかい」
 声をかけると、岡部は狼狽したふうに「あ、河村さん」と言った。彼の抱えたプラスチックの箱には「おはなのうむすび」が三十個ほど詰められている。名物である「うなぎのせいろ蒸し」を持ち帰れるよう、試行錯誤を重ねて開発した人気商品だった。
「大量注文でも入ったか」
 河村が問うと、岡部は「そうです、そうです」と明るく返した。
 こいつも大変だな、と河村は我が子を見るように思った。嘘がへた、というのは、人として美徳ではあるものの、生きていくには長所とも言いきれない。大量注文が嘘ならば、なにをするつもりだ。まさか「うむすび」をひとりで隠れて二十も三十も食べる、というわけではあるまいが。
 自社商品を頬張る若者を想像して苦笑した河村は、余計な詮索はよしておこうと決めた。
 午後四時から、新メニューの試食会を兼ねた会議が行われた。
 メインの議題は年始からの会席プランについてだったが、話題は次の春のメニューにまで及んだ。河村も積極的に意見を述べ、試作品のすべてを食べてはコメントを添えた。厳しい意見も述べたが、褒めるところは褒めたし、全員が笑う場面もあった。
 俺個人の取材なんかより、この場に立ち会ってもらったほうがよほど、いろんな話を拾えただろうに。
 朝の取材を思い出し、つい、そんなことを考えてしまう。
 あるいは、取材の席に料理をひとつ持参すればよかっただろうか。あの、面接のように。

 厨房を借りる前に、挨拶に出向いた。畳敷きの古い部屋だったが、椅子とテーブルが置かれていて、高齢者への気配りであることが河村にもわかった。そこに、着物姿の女性がひとり、腰掛けていた。
 女将は八十近い女性で、食が細ったという情報から弱々しい人物を思い描いていたが、対面した相手は顔立ちもふくよかで、眼差しには、ひとつのことに打ち込んできた人に特有の鋭さがうかがえた。
「はじめまして、河村です」と挨拶をすると、女将は「本日はお越しいただきまして」と言いかけて、言葉をとめた。途端に、奥へ引っ込むような表情になり、戸惑いの色が差した。
「すみませんね、河村さん、本来であればあなたがお客様、こちらがもてなす側、なんでしょうけど、お客様に料理を作っていただくなんて、これまでにないことで、まあ、どうお迎えすればいいのか。自分からお願いしておいて、いま、ようやく、気がつきました。こちらから、うかがったほうがよろしかったですかね」
 相手の戸惑いにあてられたように、河村も言葉に迷った。しどろもどろになりながら、すっぽん鍋をつくるつもりだと伝えた。
「楽しみ」と女将は、はにかんだ。むしろ、河村の緊張は増した。
 料亭のラストオーダーが午後八時半だったので、九時に厨房に入った。最初にすっぽんの下処理を行い、持参した小ぶりの土鍋をコンロに置いて、長ネギと椎茸と白菜を包丁で切った。椎茸は花の飾り切りを施した。厨房では他の料理人たちが後片付けと翌日の仕込みを行っていたが、河村のためのスペースはしっかりと確保されており、女将はさきほどの個室で待っていた。料理に集中すべく、河村はすっぽん鍋についての口上を頭の中で繰り返した。
 京都では、すっぽん鍋のことを「まる鍋」といいます。甲羅の形から来ているとする説、あるいは底の浅い丸型の土鍋を使うことから、とする説もあるそうです。昔は夏に食べたそうですが、冬は冬眠するので捕まえることができず、仕方なしに夏に食べていた、とも言えます。最近では養殖のおかげで年中食すことができるようになり、冬のほうが、鍋ということもあって、おいしいというふうに言われています。
 そんな御託は、釈迦に説法というやつだ。そもそも質問だってされないだろう。なぜ、すっぽん鍋なのですか、と問われることはあるかもしれない。その質問への答えを幾通りも考えながらここまでやってきたが、つまるところ、それが得意だから、としか答えようがなかった。自分が好きで、自分のために作りつづけている品であり、土鍋さえ愛用の物だった。伝統とか基本とか、そんな概念よりも、自分という料理人を差し出すつもりで決めた品だった。
 一人分のすっぽん鍋ができあがり、借り物のトレイに載せて運んだ。
「お待たせしました」
 河村の声に、女将は椅子に腰をおろしたまま、ちいさく頭をさげた。
 土鍋をテーブルに置いた。
 相手の表情は鋭く、真剣なものになっている。挨拶に訪れた先ほどと違い、自分の所作のひとつ、ひとつにまで、厳しい視線が向けられているのを、感じる。
 鍋のふたをはずすと、湯気が盛大にあがった。
 女将は目を細め、湯気の向こうにあるものを、しばし、見た。盛り付けを審判すると同時に、香りを見られている。女将の表情は、まだ、硬い。しずかに持ち上げられた右手でレンゲを取ると、鍋の中からスープをすこし、すくった。レンゲの先にも湯気がのぼる。
 河村は、それが礼を失することと知りながら、女将が食べすすめる様子から目を離すことができなかった。
 スープを啜り、表情はそのままに、こくり、とうなずくと、女将はレンゲを箸に持ち替えた。
 試験に合格したのだと確信できたのは、食事も終盤にさしかかったころだった。口元のかすかなほころびが、料理をたのしんでいることを教えてくれた。
「河村さん」と、女将が告げた。「あなた、いいものを、持ってきてくださいましたね。安心しました」
 おいしい、ではなく、安心した、という評価をもらうのは、それが初めてだった。
 ごちそうさまでした、という言葉に続けて、彼女は語った。
「想像したとおりの、味でした。このお鍋が、というのではなく、なんでしょう、あなたのような方が作る料理は、きっとこういう味だろう、という、お人柄からの想像が、的中した、といいますか」
 褒められているのが、料理なのか、自分という人間なのか、判別できずに河村は目を泳がせた。
「ご存知でしょうが、作り手と料理とのあいだに、へだたりがあるものは、これはもうどうしたってうまくいきません。ですから、どんな料理を作るにも、こういうものだと決めてかかったりしないよう、私もずいぶん口をすっぱくして伝えています。なんでも器用に作る人もいますが、舌を喜ばせることはできても、上手なだけの料理は、胸までは、保たないんですね。だから、まずは自分の軸となる味を持つことだと、私は、そんなふうに思います。河村さん」
「はい」
「あなたの味を、ここへお迎えできることを、嘘のない味を、持ってきていただけること、ありがとうございます」
「いえ、そんな」 「ごめんなさいね、こんな、まわりくどいことを言って。どうも、口が下手なもので」
「私もです。料理だって、馬鹿正直なものばかりで」
 ふたりは、秘密をわかちあうように、笑いあった。