午後三時を迎えて開場となった芝生ガーデンは徐々に人で埋まっていき、三時半になると、お池の特設ステージに地元高校の吹奏楽部が登場して、蝉の鳴き声ごと暑さを吹き飛ばさんばかりのポップスナンバーを奏ではじめた。
 屋台も盛況で、庭園には家族連れの姿も多く、幼い子供たちが吹奏楽部の演奏にあわせて踊る姿もあった。池の水面には風がそよいでやさしい模様を描き、吹奏楽の曲の合間にはお堀をゆく船頭の歌声が聞こえてきた。
 くじ引きや射的、風船釣りといったコーナーも賑わい、焼き鳥やタコ焼き、綿菓子に焼きそばといった食べ物も売れていた。
 三時半に「Over the Moon」での披露宴がおひらきになると、そこから正装のままガーデンに出てくる人たちも少なくなかった。
 宗高千鶴社長が杉原歌澄を連れて庭園にやってきたのは、開場から一時間が経過した、午後四時ごろだった。まだ空は晴れていて、御花上空に浮かぶ雲はひとつもなく、午前中にくらべれば水色もやや薄まってきたものの、青空の存在感は陽射しとともに強烈だった。
「七福神祭りの七福神っていうのは、御花の敷地から七福神の人形が出てきたことに由来していて、あ、杉原さん、そこに座りましょうか、それで、その出来事にちなんだ名称なんです」
「素敵ですね、そういう逸話って」
 静かな所作で杉原歌澄はビニールシートの上に腰を下ろした。客室に荷物を置き、タイトなジーンズに白いカットソーという服装に着替えていた杉原歌澄は、シンプルなスタイルと折り目正しい姿勢から、一流モデルにも見えた。
 若い女性の二人組が近づいてきて、杉原さんですか、と遠慮がちな態度で聞いた。握手を求められた杉原歌澄も照れるように手を差し出した。
「さっき、近くを散策しているときに耳に届いたんですけど、船頭さんたち、すごく、歌がお上手なんですね」
「そうなんですよ」
 歌澄の評価を千鶴は我が事のように喜び、柳川の魅力のひとつである川下りについて語った。
「北原白秋先生の詩、明日、私も歌わせていただきますね」
 思いがけない提案に、千鶴は両手をあわせて喜びを表現した。
「ありがとうございます。みんな喜ぶと思います」
「こちらこそ。こんな素敵な場所にお招きいただいて、本当にありがとうございます」
 ステージには子供合唱団があがって、さやわかな風を思わす歌声を披露しているところだった。
 歌澄のマネージャーがやってくると、そちらとも雑談を交わしたあとで千鶴は暇乞いをした。打合せのため役所に出向かねばならず、早足でガーデンを抜けようとするのだが、夏祭りには知人も多く訪ねてきてくれているので、途中で幾度も挨拶と一言二言を交わす必要があり、なかなか前に進むことができなかった。もちろん、お腹のおおきくなった女性にも声を掛けずにいれなかった。
「原田さん! ごぶさたしています」
「宗高社長、おひさしぶりです」と原田啓太が言って、妻の佐知子も「おひさしぶりです」と続いた。
「佐知子さん、お腹、ずいぶん大きくなってますね。もうすぐですか?」
「はい。予定日は十月頭なんですけど」
「無理なさらないでね、今日も暑いですから」
「はい、ありがとうございます」
「僕も言ってるんですけどね、でも、なんだっけ、戦国武将隊? その人たちを見たいって」
「はいはい」と千鶴が応える。「出番、六時だから、もうちょっとかかりますよ」
「いくらでも待つんだって言うんですよ」
 夫の軽口を封じるように、佐知子が握りこぶしで彼の腕をぐりぐりと押した。
「佐知子さんて、もしかしてあれですか、歴女?」
「そこまではないんですけど、でも、ちょっとだけ」
「じゃあ楽しんでいってくださいね」
 ようやく芝生ガーデンを脱したところで、建物の脇をこちらに歩いてくる葵に千鶴は気づいた。
「ちょっと、アオ」
「あ、社長、やっと会えた!」
「社長って、私、もうあなたの社長じゃないからね。ていうかひさしぶり。ごめんね、せっかく来てくれたのにばたばたしてて。元気? ぜんぜん顔見せてくれないじゃない」
「すみません。わりと忙しくしてたから」
「今日は? 夜までいられるの? ね、お祭り終わってから飲みに行く?」
「あー、ごめんなさい、車で来ちゃったんで」
「そっか。明日は? 明日はね、杉原歌澄さんのライブもやるんだよ、大広間で、ぜったい良いライブになるから、アオも来てよ」
 千鶴の誘いに葵は嬉しそうで困ったふうな、曖昧なほほえみを見せた。
「すみません。明日は仕事で。あの、でも明日はあれなんです、今の職場で担当させていただいた方々の披露宴があって、そちらの見学をさせていただけるんです」
 言葉を連ねていくうちに、葵の表情は確たる自信に満ちていき、千鶴のほうが複雑な思いを目元に漂わせた。そっか、がんばってるんだね。そんな感想が口を突いて出そうになった。葵が御花を辞めて、まだ一年にも満たない。大広間の工事よりも短い時間しか流れていないのに、葵の心がたくましく育っていることはひと目でわかった。がんばってる、なんてあたりまえだ。わざわざ口にするほうが失礼なくらいだ。そう考えて、わざと偉そうな口調で言ってみた。
「さすが、私の愛弟子」
 声に出すと、強がりにも聞こえた。
 別のスタッフが葵を見つけて駆け寄ってきた。千鶴と同じように、葵もたくさんの人に話しかけられては足を止めているようだった。「またあとでね」と、千鶴は以前と変わらない態度で告げて、車に急いだ。

     午後三時を迎えて開場となった芝生ガーデンは徐々に人で埋まっていき、三時半になると、お池の特設ステージに地元高校の吹奏楽部が登場して、蝉の鳴き声ごと暑さを吹き飛ばさんばかりのポップスナンバーを奏ではじめた。
 屋台も盛況で、庭園には家族連れの姿も多く、幼い子供たちが吹奏楽部の演奏にあわせて踊る姿もあった。池の水面には風がそよいでやさしい模様を描き、吹奏楽の曲の合間にはお堀をゆく船頭の歌声が聞こえてきた。
 くじ引きや射的、風船釣りといったコーナーも賑わい、焼き鳥やタコ焼き、綿菓子に焼きそばといった食べ物も売れていた。
 三時半に「Over the Moon」での披露宴がおひらきになると、そこから正装のままガーデンに出てくる人たちも少なくなかった。
 宗高千鶴社長が杉原歌澄を連れて庭園にやってきたのは、開場から一時間が経過した、午後四時ごろだった。まだ空は晴れていて、御花上空に浮かぶ雲はひとつもなく、午前中にくらべれば水色もやや薄まってきたものの、青空の存在感は陽射しとともに強烈だった。
「七福神祭りの七福神っていうのは、御花の敷地から七福神の人形が出てきたことに由来していて、あ、杉原さん、そこに座りましょうか、それで、その出来事にちなんだ名称なんです」
「素敵ですね、そういう逸話って」
 静かな所作で杉原歌澄はビニールシートの上に腰を下ろした。客室に荷物を置き、タイトなジーンズに白いカットソーという服装に着替えていた杉原歌澄は、シンプルなスタイルと折り目正しい姿勢から、一流モデルにも見えた。
 若い女性の二人組が近づいてきて、杉原さんですか、と遠慮がちな態度で聞いた。握手を求められた杉原歌澄も照れるように手を差し出した。
「さっき、近くを散策しているときに耳に届いたんですけど、船頭さんたち、すごく、歌がお上手なんですね」
「そうなんですよ」
 歌澄の評価を千鶴は我が事のように喜び、柳川の魅力のひとつである川下りについて語った。
「北原白秋先生の詩、明日、私も歌わせていただきますね」
 思いがけない提案に、千鶴は両手をあわせて喜びを表現した。
「ありがとうございます。みんな喜ぶと思います」
「こちらこそ。こんな素敵な場所にお招きいただいて、本当にありがとうございます」
 ステージには子供合唱団があがって、さやわかな風を思わす歌声を披露しているところだった。
 歌澄のマネージャーがやってくると、そちらとも雑談を交わしたあとで千鶴は暇乞いをした。打合せのため役所に出向かねばならず、早足でガーデンを抜けようとするのだが、夏祭りには知人も多く訪ねてきてくれているので、途中で幾度も挨拶と一言二言を交わす必要があり、なかなか前に進むことができなかった。もちろん、お腹のおおきくなった女性にも声を掛けずにいれなかった。
「原田さん! ごぶさたしています」
「宗高社長、おひさしぶりです」と原田啓太が言って、妻の佐知子も「おひさしぶりです」と続いた。
「佐知子さん、お腹、ずいぶん大きくなってますね。もうすぐですか?」
「はい。予定日は十月頭なんですけど」
「無理なさらないでね、今日も暑いですから」
「はい、ありがとうございます」
「僕も言ってるんですけどね、でも、なんだっけ、戦国武将隊? その人たちを見たいって」
「はいはい」と千鶴が応える。「出番、六時だから、もうちょっとかかりますよ」
「いくらでも待つんだって言うんですよ」
 夫の軽口を封じるように、佐知子が握りこぶしで彼の腕をぐりぐりと押した。
「佐知子さんて、もしかしてあれですか、歴女?」
「そこまではないんですけど、でも、ちょっとだけ」
「じゃあ楽しんでいってくださいね」
 ようやく芝生ガーデンを脱したところで、建物の脇をこちらに歩いてくる葵に千鶴は気づいた。
「ちょっと、アオ」
「あ、社長、やっと会えた!」
「社長って、私、もうあなたの社長じゃないからね。ていうかひさしぶり。ごめんね、せっかく来てくれたのにばたばたしてて。元気? ぜんぜん顔見せてくれないじゃない」
「すみません。わりと忙しくしてたから」
「今日は? 夜までいられるの? ね、お祭り終わってから飲みに行く?」
「あー、ごめんなさい、車で来ちゃったんで」
「そっか。明日は? 明日はね、杉原歌澄さんのライブもやるんだよ、大広間で、ぜったい良いライブになるから、アオも来てよ」
 千鶴の誘いに葵は嬉しそうで困ったふうな、曖昧なほほえみを見せた。
「すみません。明日は仕事で。あの、でも明日はあれなんです、今の職場で担当させていただいた方々の披露宴があって、そちらの見学をさせていただけるんです」
 言葉を連ねていくうちに、葵の表情は確たる自信に満ちていき、千鶴のほうが複雑な思いを目元に漂わせた。そっか、がんばってるんだね。そんな感想が口を突いて出そうになった。葵が御花を辞めて、まだ一年にも満たない。大広間の工事よりも短い時間しか流れていないのに、葵の心がたくましく育っていることはひと目でわかった。がんばってる、なんてあたりまえだ。わざわざ口にするほうが失礼なくらいだ。そう考えて、わざと偉そうな口調で言ってみた。
「さすが、私の愛弟子」
 声に出すと、強がりにも聞こえた。
 別のスタッフが葵を見つけて駆け寄ってきた。千鶴と同じように、葵もたくさんの人に話しかけられては足を止めているようだった。「またあとでね」と、千鶴は以前と変わらない態度で告げて、車に急いだ。