インタビュー御花 代表取締役社長 宗高千鶴さん

―― 宗高社長は、宗高家十八代目でもいらっしゃるということで、生まれたときからこちらで過ごされてきたと思いますが、いずれご自身が社長を務めることになると考えたことはありましたか?
宗高 そこまでの意識はなかったと思います。でも、親とか祖父母の姿、ここで働いていらっしゃる皆さんの姿は間近に見ていたので、御花で働くということがどのようなものなのか、それは常にどこかで意識していました。
―― 大学を卒業されたあと、一度は東京の商社に勤務され、それからアメリカ留学を経て、二十八歳で帰郷されています。外へ出たことで御花を見る視線にも違いが生まれましたか?
宗高 新鮮な目で見られるようになりましたね。良いところも改めて発見できましたし、改善したほうがいいところも。
―― 改善というのは、経営的な面から?
宗高 それもありますけど、ほかにも、たとえば海外からのお客様を迎えるにあたっての準備とか、より広い視点から考えるようになりました。とはいえ、ここに戻ったとき、まずは調理場から修行でしたからね。宗高家の人間とはいっても、従業員として現場を知らないことには話になりませんから。最初は包丁も満足に握れなかったんですけど、とにかくそこからスタートして、すべての部署で経験を積ませていただきました。
―― スタッフの皆さんにうかがっても、社長は常に周りの意見に耳を傾けているとおっしゃいます。そうした現場での経験が、いまの経営スタイルの礎になっているわけですね。
宗高 私は「ついてこい型」のリーダーシップではなく、多くの人の知恵や力を借りてみんなで盛り立てていく「共感型」なんです。いま掲げている目標は「世界の御花」で、それを言葉にすると「すごく高い目標だね」とか「大変そうだね」と言われるんですね。もちろん、ひとりで実現しようとすれば大変だし、無理だってへこたれるかもしれませんが、でも、みんなといっしょに取り組むんですから、高い目標のほうが楽しいでしょ。
―― 2016年の夏から始まった大広間の改修も、次の一〇〇年を目指しての取り組みと捉えていらっしゃいますね。歴史ある施設ですから改修工事も当然といえるでしょうが、そんなあたりまえの取り組みであっても「親しい人を一年間の留学に送り出す気持ち」で楽しんでいらっしゃる。そうした姿勢が、働く人、ひいては訪れる皆さんにも、御花が特別な場所として映る一因かもしれませんね。
宗高 そうだったらいいなと思います。でも、そのあたりは本当に素直な気持ちなんですよ。御花って、昔からあるんですけど、でも、保護文化財として大切に、大切に、現状を維持していこう、という場所とは違うんですよね。いまも営業していて、ここで食事を楽しんでいただいたり、結婚式を挙げていただいたり、お庭ではお祭りなんかもやったり。歴史があるっていうだけじゃなくて、いまも新たな歴史を重ねていってますし、ここで特別な時間を過ごしていただくことで、おひとり、おひとりにとっても新しい思い出が生まれているわけです。だからこそ、大広間の改修も楽しめるのかもしれません。変らないために変わっていく、その感じが。
―― 変わっていくことに、戸惑ったり、悩んだりもしませんか?
宗高 しますよ。それはしますけど、でも、華族のお屋敷だったこの場所を料亭にした祖母の行動力を思えば、楽しまなくちゃって勇気もわいてくるんです。前に、霊感のあるお客様に、ここは良い霊に守られてるって言っていただいたこともあって、それを頼りにするわけじゃないですけど、時代の変化を怖がるよりは、どうしたら楽しめるのか、みんなが幸せになれるのか、それを考えて行動していったほうがいいでしょ?
―― お客様との交流で印象に残っているエピソードはありますか?
宗高 それは、いろいろ、本当にいろいろあります。すごく嬉しかったのは、アラスカからいらっしゃったご夫婦ですね。アラスカで古書店を経営していらっしゃるご夫婦で、日本に来るのも初めてだったそうで、どうして柳川にお越しになったんですかってお尋ねしたんです。そうしたら、お店にいろんな本が入ってくるんだけど、なかに一冊、日本語の旅行ガイドが入っていて、どうしてそんなのがアラスカの古本屋に行き着いたのかもわからないんですけど、そこに御花がね、紹介されていたらしいんですよ。きっと写真で興味を持っていただいたんでしょうね。わざわざ日本語を翻訳して、どういった場所なのかを勉強されたんですって。それで、それで、いつかここに行こうってご夫婦で話していて、やっと、やっと来れたんですよって。それ聞いて、私、ほんとうに嬉しかったんです。
―― どういうふうに紹介されていたんですか。
宗高 ああ、それは聞かなかった。聞けばよかったですね。嬉しくて、ぜんぜん、思いつかなかった。ほんと、なんて書いてあったんだろう?
―― 宗高社長は、宗高家十八代目でもいらっしゃるということで、生まれたときからこちらで過ごされてきたと思いますが、いずれご自身が社長を務めることになると考えたことはありましたか?
宗高 そこまでの意識はなかったと思います。でも、親とか祖父母の姿、ここで働いていらっしゃる皆さんの姿は間近に見ていたので、御花で働くということがどのようなものなのか、それは常にどこかで意識していました。
―― 大学を卒業されたあと、一度は東京の商社に勤務され、それからアメリカ留学を経て、二十八歳で帰郷されています。外へ出たことで御花を見る視線にも違いが生まれましたか?
宗高 新鮮な目で見られるようになりましたね。良いところも改めて発見できましたし、改善したほうがいいところも。
―― 改善というのは、経営的な面から?
宗高 それもありますけど、ほかにも、たとえば海外からのお客様を迎えるにあたっての準備とか、より広い視点から考えるようになりました。とはいえ、ここに戻ったとき、まずは調理場から修行でしたからね。宗高家の人間とはいっても、従業員として現場を知らないことには話になりませんから。最初は包丁も満足に握れなかったんですけど、とにかくそこからスタートして、すべての部署で経験を積ませていただきました。
―― スタッフの皆さんにうかがっても、社長は常に周りの意見に耳を傾けているとおっしゃいます。そうした現場での経験が、いまの経営スタイルの礎になっているわけですね。
宗高 私は「ついてこい型」のリーダーシップではなく、多くの人の知恵や力を借りてみんなで盛り立てていく「共感型」なんです。いま掲げている目標は「世界の御花」で、それを言葉にすると「すごく高い目標だね」とか「大変そうだね」と言われるんですね。もちろん、ひとりで実現しようとすれば大変だし、無理だってへこたれるかもしれませんが、でも、みんなといっしょに取り組むんですから、高い目標のほうが楽しいでしょ。
―― 2016年の夏から始まった大広間の改修も、次の一〇〇年を目指しての取り組みと捉えていらっしゃいますね。歴史ある施設ですから改修工事も当然といえるでしょうが、そんなあたりまえの取り組みであっても「親しい人を一年間の留学に送り出す気持ち」で楽しんでいらっしゃる。そうした姿勢が、働く人、ひいては訪れる皆さんにも、御花が特別な場所として映る一因かもしれませんね。
宗高 そうだったらいいなと思います。でも、そのあたりは本当に素直な気持ちなんですよ。御花って、昔からあるんですけど、でも、保護文化財として大切に、大切に、現状を維持していこう、という場所とは違うんですよね。いまも営業していて、ここで食事を楽しんでいただいたり、結婚式を挙げていただいたり、お庭ではお祭りなんかもやったり。歴史があるっていうだけじゃなくて、いまも新たな歴史を重ねていってますし、ここで特別な時間を過ごしていただくことで、おひとり、おひとりにとっても新しい思い出が生まれているわけです。だからこそ、大広間の改修も楽しめるのかもしれません。変らないために変わっていく、その感じが。
―― 変わっていくことに、戸惑ったり、悩んだりもしませんか?
宗高 しますよ。それはしますけど、でも、華族のお屋敷だったこの場所を料亭にした祖母の行動力を思えば、楽しまなくちゃって勇気もわいてくるんです。前に、霊感のあるお客様に、ここは良い霊に守られてるって言っていただいたこともあって、それを頼りにするわけじゃないですけど、時代の変化を怖がるよりは、どうしたら楽しめるのか、みんなが幸せになれるのか、それを考えて行動していったほうがいいでしょ?
―― お客様との交流で印象に残っているエピソードはありますか?
宗高 それは、いろいろ、本当にいろいろあります。すごく嬉しかったのは、アラスカからいらっしゃったご夫婦ですね。アラスカで古書店を経営していらっしゃるご夫婦で、日本に来るのも初めてだったそうで、どうして柳川にお越しになったんですかってお尋ねしたんです。そうしたら、お店にいろんな本が入ってくるんだけど、なかに一冊、日本語の旅行ガイドが入っていて、どうしてそんなのがアラスカの古本屋に行き着いたのかもわからないんですけど、そこに御花がね、紹介されていたらしいんですよ。きっと写真で興味を持っていただいたんでしょうね。わざわざ日本語を翻訳して、どういった場所なのかを勉強されたんですって。それで、それで、いつかここに行こうってご夫婦で話していて、やっと、やっと来れたんですよって。それ聞いて、私、ほんとうに嬉しかったんです。
―― どういうふうに紹介されていたんですか。
宗高 ああ、それは聞かなかった。聞けばよかったですね。嬉しくて、ぜんぜん、思いつかなかった。ほんと、なんて書いてあったんだろう?